第3章 竜爪山の風景体験
竜爪さんが堀へ
  はまったようだ
謎解きのすすめ その3
見立ての風景体験
 竜爪山をめぐる言い回しに、「竜爪さんが堀へはまったようだ」というのがある。これは、清水市の中之郷や長崎あたりで、年の多いお婆さん達が会話の中で使っていたというもので、竜爪山を身近な人にたとえた親近感を示している。山を擬人化したところに、いかに、生活の中に竜爪山が取り込まれていたかが実感されてくる。
 山の姿は、見る位置によって大きく変化するが、竜爪山も清水側と静岡側では見え方が異なる。静岡市瀬名から清水側は、大内の観音さん(霊山寺)のある山並みが竜爪山の前山としてある。竜爪山の山頂部の二峰が、この前山の背後に見える地域がある。この地域の人々は、この見え方を人の頭にたとえてきたのである。すなわち、てっぺんだけを見せる竜爪山を、人の頭に見立て、前山の山並みを堀の水面に見立ててきたということである。
 この見立ては、さらに、連想を重ねていく。だぶだぶの衣服から、首がちょこんと出ている人を指しているという。この言い回しの使われる会話状況は、入の着ている衣服の大き過ぎる不釣り合いさを、面白がっている生活の中のユーモアと捉える事ができる。竜爪山の風景体験が、見事な見立てとなって、言い回しを作り出してきた事例といえよう。
 竜爪山の謎解きの3つ目に、山の姿そのものを竜に見立てる風景体験があったのだろうかということを、あげておきたい。山頂から麓に伸びる山脚全体を、竜神の形として見る見方である。場所の選定などの時、占いに依る呪術的裏付けは重要であった。風水思想による見立ても十分考えられるところである。竜爪山のかもす自然の気が、知らず知らずの間に影響を与えてきたということは、こうした風景の呪術的見方と深く関わってきた歴史が潜んでいるということである。自然の気の集まる山並みが、竜の集まる聖地に見立てられてきたのではないかという風景体験である。天と地を繋ぐ竜が降りる山としての風景体験が、竜爪山に仮託されていたのであるうか。