龍爪山は、海からもよく見える山である。『庵原郡誌』には、「遠洋航海ノ船舶、望ンテ以テ針路ヲ取ルトイフ」とあり、山あての山として、駿河湾から眺められていたことがわかる。山あては、二点間の目印を見通して、まず、一線を決め、次に、また、別の二点間の目印を見通して、二線目を決め、この一線と二線を引っ張って来て、交わる地点で位置を確認するという方法である。かつて、この山あてができなければ、魚が釣れなかった。海に生きる漁師や船乗りは、山あての山を、地域の伝統的風景体験の中で培ってきた。
焼津の浜から見た龍爪山(焼津市田尻)
焼津の浜から見た龍爪山(焼津市田尻)
 駿河湾沿岸の由比の漁師たちは、遠くの山を、奥の山、沖の山と呼び、近くの山を末の山、前の山と呼んでいた。「山の一番てっぺんを見る」といい、奥の山と前の山に立つ高い木が見通されていた。「サメをやるには、山がわかんなきゃあ、釣れない」といわれていた(『町屋原・今宿の民俗』)。静岡市の前浜あたりでは、福成さん(福成神社標高227.6b)に立つ松の木が山あてに利用され、昔は、お礼の魚がよく上がっていたという。
 龍爪山は、猟師仲間、鉄砲仲間の講社として、現在まで代参の伝統を引き継いでいるが、漁師仲間の講社参詣は聞いたことがない。このことは、山頂が雨雲に隠れることが多い龍爪山が、沿岸漁師の山あてにはあまり利用されず、前の山が専ら利用されてきたことを示しているといえよう。あくまでも、駿河湾の湾奥に入ってくる大形船の山あてに利用されていたといえよう。龍爪山で焚かれる護摩火が、灯台の役目を果していたことは十分、考えられることである。  ここで考えられるのが、遠州の龍頭山と龍爪山の位置関係である。龍頭が、「龍灯」に考えられており、龍神が神仏に献じた灯という意味がある。海洋民によって、海から山の上に聖なる火が登って行ったことを、示唆する伝承である(五来重『修験道入門』)。海の民から見た山、海上交通の山あてに利用された海抜千メートル級の山が、かつて、龍のイメージで結びつけられていたのかもしれない。海の沖から見た龍爪山、そこに龍爪山の山岳信仰の原型が、埋もれている可能性がある。