第7節 観天望気の民俗
 龍爪山は、天候の変化を予知する、さしずめ、静岡、清水地方の「自然気象台」といえる役目を果たしてきた山であった。観点望気のために、人々は龍爪山を眺めてきたのである。一般的には、龍爪山への雲の掛かり具合で、晴れる、雨になるなどが予知されていた。「龍爪さんが出てきたぜ、雨が上がる」、「文珠山に、霧がかかると雨」、「冬、龍爪山がかんかんしていると、雨」「夏、龍爪へ夏雲がかかっていると雨が降らない」「龍爪へ三回雪が降ると、春が来る」などと、言われていた。龍爪山は、別名、時雨の峯と呼ばれていた時代があり、時雨が多く、雨の風情が山と溶け合う伝統的風景を、古来から引き継いできたことがわかる。時雨の峯という山名は、古くからの観点望気の体験を蓄積しての、命名だったといえよう。龍爪山は、時雨の似合う山姿をしている。
 時雨と共に注目されるのが、雷である。「龍爪雷、鳴りじいけ」は、龍爪山が雷の多発地帯であることを示す言い回しである。この言い回しは、静岡市大谷あたりで伝承されてきたもので、龍爪山の方から雷がやってくる。しかし、だんだん力が弱まってきているという意味で使われている。雷は、主に積乱雲から発生するといい、夏期は山岳部に多いとされる。そして、雷雲は、谷や川に沿って移動するといい、山脚が雷の通り道になってきたといえよう。稲妻や落雷は、恐ろしい神霊の来臨を象徴し、龍蛇の形でイメージされてきた。静岡市大谷の大正寺には、雷の爪跡と伝える大きな石が保存されている。龍の爪跡を、杉の巨木に落ちた落雷跡に重ねる人もいる。麻機には、弘法の爪跡伝承がある。こうした爪跡伝承は、異界からこの世に訪れたものの証拠を、爪の跡として伝承化してきたものといえよう。
 そして、静岡の町中に、雷を祀る別雷神社があり、雷の宮と呼ばれ、別当寺が龍相山雷電寺であった。雷神信仰が盛んに行われて、町を守ってきた歴史がわかる。龍爪山の方からやってくる雷神を鎮め祀る場が、賤機山の麓山の奈古屋社、そして、雷の宮と、龍爪山から降りてきた山並とほぼ、一直線上にあることが、指摘されよう。雷の通り道を、神の通い路に重ね合わされていたことが考えられる。
 すなわち、龍爪山から雷が山脚を伝わって降りてくるという自然現象があって、雷の移動に神霊の示現を感じ取ってきた感性を、原始・古代から、静岡の風景体験として育んできたといえよう。前浜でも、海へ雷が落ちる様子が見られたというが、それを、「雷が海へはいちゃう」と表現する。大谷あたりでは、「イナヅマがすると、稲に虫がつかない」とも伝える。
 以上のように、龍爪山から鳴り始める雷が、龍爪山そのものに神霊が降臨する山としての意味を与えてきたといえよう。そこからの雷の移動は、まさに、神様の移動と捉えられていたといえよう。駿府の町作りが、雷神信仰の元で裏打ちされていた時代があったのである。
 そこで、再び龍相山雷電寺に注目してみたい。この寺は、神仏習合の寺として、本地堂に文殊菩薩を祀ってあったという。静岡の町から見ると、文珠岳だけがよく見える山容になる。山号と寺号が、龍爪山と結びつく雷神信仰を見事に伝えている。雷神の鎮めの修法をになってきた寺であったといえよう。駿府を取り囲む山の中で、龍爪山が最も高い山である。大気の流れがぶつかる山であり、そこに雲の発生や雷の発生が、動きとして目に見える形であらわれてくる。そうした現象が、古代から、この山を、大気の気が集まる山として注視してきたといえよう。この大気と山の気の動きの影響を、人々は感じ取ってきたのである。雷神に、町の安泰を見守ってもらう心持ちは、龍爪山の頂きに畏敬の念をもって祈りをささげたことであろう。
 『庵原郡誌』には、「山ヲ龍爪山ト称スルハ、伝云。往昔一日夏雲靉キ、龍アリ此山ニ下ル、山木ニ触レ其ノ爪ヲ落ス。野叟之ヲ拾ヒ得タリ。因テ龍爪ヲ以テ山ニ名ツクト」とある。この伝承のうち、夏雲が盛んにわいてくるところに、龍が出現しており、雷の稲妻を龍に見立てたことが考えられる。
龍爪山雪景色(清水市草薙)
龍爪山雪景色(清水市草薙)
 龍爪山の観天望気として、雷が重要な意味を持っていたのである。山頂への落雷とその稲妻が、強い雨をもたらす。雷神信仰が元になって、龍爪山の山岳信仰に、雨乞いが求められてきたのは自然であった。雷の稲妻、それは雨をもたらす龍の姿であった。そうした山と自然現象との関わりを、イメージ豊かに考えていた時代があったのである。
 今一つ、龍爪山の雪景色にも注目していただきたい。江戸時代の浮世絵師、広重の近江八景(「比良暮雪」)をもじった風景が「龍爪暮雪」であった。龍爪山にはめったに雪は降らないが、春を告げる雪として知られていた。この「龍爪暮雪」は、そうした雪景色につけられたもので、実際の浮世絵が実存するわけではない。いわば、幻の「龍爪暮雪」である。  龍爪山との観天望気は、まさに、山の気の変化と自分の心持ちの変化を重ね合わせる風景体験であった。