第1章 龍爪山の歴史
 りうのすむ
水上つねに はるゝ日も
雲風雨の
  たゝぬ山かな

謎解きのすすめ その1
龍のイメージ
 龍爪山は、静岡、清水の人々にとって、あたかも身近な人に対するように、「龍爪さん」と呼んで、慣れ親しんできた山である。山を擬人化して生活の中に取り込むほど、過去の歴史において、山と密接な関わりあいを育んできた証拠といえよう。
 そうした身近な山でありながら、意外にも山の歴史は史料が少なく、歴史の謎を秘めている。特に、中世から近世へかけては、龍爪山の山岳信仰に大きな転換があったことが考えられてくる。近世初期、龍爪大権現として新たな信仰形態が山上に形成されてくるが、それ以前、古代、中世の時代には、どのような山岳信仰が行なわれていたのであろうか。龍爪山の歴史的ロマンは、浅畑沼と一体となった中世の信仰空間の再現にかかっているといえよう。
 その再現の手掛かりを与えてくれるのが、『宗長手記』にある、中御門宣秀の歌である。今川氏親の一周忌の追善法要で詠まれたもので、

 りうのすむ 水上つねに はるゝ日も 雲風雨の たゝぬ山かな

というものである。浅畑沼の沼のばあさん伝説が、当時、知られていたことを示している。浅畑沼の上はいつも晴れていても、(沼の奥にある山は)雲風雨の絶えない山だなあという意味あいである。現在、浅畑沼は大きくその様子を変貌させているが、中世の時代には、その水域を最大限に広げていたことが考えられている。水の中に住む龍のイメージが、雲や雨を呼び込む山と繋がって、背後の高い山から天空へ登る、あるいは天空から降りてくるとイメージされていたといえよう。このように、龍の伝承は、中世の時代には、浅畑沼で先行していたといえ、そのイメージが、龍爪山の山上の龍イメージを準備していたといえよう。浅畑沼は、この世とあの世を分ける、重要な信仰空間を形成していたと考えられ、沼の北側は、まさに、天空に近い聖なる龍のすみかの山として、龍爪山の高みが仰がれていたといえよう。