助郷免除願い

差し上げ申す御請書の事
1、高二十六石九升
平山村

 右は私共村方前々より、助郷役御除きに相成り罷り在り候儀、大山奥の村方にて、江尻宿並びに府中宿までは、両宿とも道のり三里余もこれ有り、その上谷沢多く、雨天の節は通路差し支え、北は竜爪山雲霧深く、土地覆われ、畑高等実のり兼ね、その
ふじき
上猪、鹿多く作物荒し、難儀仕り、夫食等にも差し支え、極難儀の村方に付き、助郷役等相勤り申さず、第一不便利の場所に御座候処、去る天明7未年11月、内田宇八様、市川条助様、村柄御見分お越し成され候て、翌申年2月、桑原伊予守様へ村方御呼び出し、一々お糺しの上、右難渋の趣、御聞こし済し下し置かれ、助郷役の儀は、前々の通り、御免除仰せ付けられ候。
 その後文化元子年、道中御奉行様、江尻宿御止宿これあり、村々御見分の節も、当村方の儀は、右の段願い上げ奉り、御聞き済しの上、前々どおり、御免除仰せ付けられ候。
  右は今般御尋ねに付き、申し上げ奉り候処、相違御座無く候。以上。

天保4巳年7月
平山村
 名主 与右衛門
宮 崎
御 役 所
(原本平山滝家蔵)
助郷免除嘆願書2
助郷免除嘆願書1
恐れながら書付を以つて願い上げ奉り候。
松平丹後守領分
  駿州庵原郡
  平山村
   名主  与右衛門
   組頭  兵左衛門
   百姓代 五左衛門

おもむき
 右村役人一同申し上げ奉り候は、この度江尻宿助郷方より、私共村方を差し村に仕り、代助郷の儀御願い申し上げ候 趣に御
おでんち
座候て、今般当村御見分なし下され候段、有難く恐れ入り存じ奉り候。然る処、当村の儀は、谷合い多く山畑小高にて、御田地
ふじき
は御座無く、百姓夫食などまま差し支え、困窮の村方に御座候に付き、助郷御役の儀は、前々より御免除なし下し置かれ、有難 く御慈悲を以つて、百姓渡世相営み申し候。然る処、先年天明の度、前書の通り差し村に相成り候節、村方難渋の次第、べんべん申し上げ奉り候処、訳きこし召され、御憐愍を以つて右代助郷の儀、御免除仰せ付けられ、有難き仕合せに存じ奉り候。これに依り恐れ乍ら、右の趣意左に申し上げ奉り候。
天明7未年差し上げ奉り候願書の趣
まか
1、この度江尻宿助郷惣代として、岡野備中守様御知行所、下足洗村九左衛門、渋川村文治郎、江戸表へ罷り下り、浅畑村々、その外村々、並びに平山村差し村にて、江尻宿代助郷相願い候に付き、今度村柄御見分の為、私共村方にも御出で下され、有難
ふじき
く存じ奉り候。然る処、平山村の儀は、大山入りにて、村高二十六石九升地の村方にて、至つて困窮村に御座候。百姓夫食と申し候ては、稗、蕎麦、芋の類、惣じて時分の雑穀、彼岸花の根、葛の根等を食物に仕り、出稼ぎと申し候ては、江尻宿は勿論、
まき
府中町までも三里余の道のりにて、柴、薪など渡世にも相成り兼ね、その上奥山入りにて、狼多く、夜に入り候ては、村の内用事も弁じ申さず、至つて難渋村に御座候。その上田地と申し候ては、一向御座無く、村内にて米一粒もこれ無き村方、助郷御役
ふじき
仰せ付けられ候ては、第一夫食御座無く差し支え、相勤り申さず、恐れ乍ら一同難渋仕り候儀に御座候。
1、先年高木伊勢守様、道中御奉行御勤役の節、江尻宿より御願い申し上げ、同宿御泊り迄、私共村方召し出され、助郷御役仰
みぎり
せ付けられ、その節相勤め難き村方に付き、御見分相願い候処、その 砌 御急ぎの御用筋にて、追つて御見分下さるべき旨、
いずれ
何連相勤め候よう仰せ付けられ、両3年大通りの節ばかり、人足差し出し候儀も御座候処、その後長谷川庄五郎様、道中御奉行御勤役の節、村柄御見分御吟味の上にて、御免除に相成り、百姓一同取り続け候段、有難き仕合せに存じ奉り候御事。
1、この度御見分下され候通り、東西高山にて、北は竜爪山にて、土地相覆い、快晴の節漸く一時も日当り候村方、畑作と申し候ても、外村と違い実入り兼ね、その上江尻並びに府中にも、往来一方口にて、隣村長尾村、北沼上村、瀬名村までの間、道のり2里余の所川筋にて、大雨の節通路御座無き村方につき、助郷御役の儀は、何分にも相勤まり難く候の趣、願い上げ候処、訳聞こし召され、御慈悲を以つてこれ迄御免除に相成り、有難き仕合わせに存じ奉り候御事。
 前書申し上げ奉り候通り、誠に以つて困窮の村方に御座候て、平日山稼ぎの余業と申し候ては、紙をすき、又は炭焼き、荷ない売り仕り候もの共など、御座候えども、小村の儀故、当時雑木伐り尽し、助力手薄く、極く難渋の村方に御座候間、この度の儀も、何とぞ御憐愍を以つて、御免除仰せ付け下し置かれ候よう、村方一統、幾重にも御慈悲の程、願い上げ奉り候。以上。
天保9戌年11月15日
松平丹後守領分
  駿州庵原郡平山村
    名主  与右衛門
    組頭  兵左衛門
    百姓代 五左衛門
中尾見一郎 様
飯原 芳蔵 様
(原本平山滝家蔵)