○補   遺
 筆者蔵本の末尾には、次のような一文が付加されている。
 「私に曰く。この寺の表には、今に牛の形の石あり。或る住僧あやまって石工をかけて割り砕きけるに、その割れ目より生血はしり出るとなり。これに依り、その背にひびわれきずありと也。]
 この文には、あらずもがなのわざとらしさが感じられるが、現在牛石は寺の表でなく、人家の奥の山裾にあると言われている。しかしそれが、物語にあるように、道白平から担いで来たものかどうかは、もちろん不明である。昔は北街道の道脇にも、俗に牛石といわれる。畳一畳ほどの自然石があったように思う。
あ と が き
 筆者と「駿河竜爪山由来」との出会いは、筆者がかつて小著「竜爪山」の稿を進めていたときであった。いろいろ史料に目を通していると、阿部正信のかの大部の地誌「駿国雑誌」(静岡吉見書店版)の引書目録の中に、その名を見出だしたのである。竜爪山由来とは一体どのような内容の本であろうか、竜爪山の歴史を書いているときだけに、興味津々たるものがあった。
 そこで、県中央図書館へ行ってお願いしたところ、いろいろ調べてくれて、国立公文書館内の内閣文庫に、一冊所蔵されていることが分かった。早速申請してマイクロフィルムによる写本を、同館から送くってもらったのである。このことは「はしがき」にも書いたところである。
 しかし、その内容は意外であった。筆者は密かに竜爪権現開創の歴史といったものを期待していたのであるが、それとは全
いんめつ
く異なった、四話からなる郷土の伝説、民話であった。そして驚いたことに、筆者の手元に反古としてまさに湮 滅寸前の状態の古写本があり、その古写本と、内容は全く同一であった。筆者は掌中の玉を知らずして他所に宝を求めていたわけである。
 この四話の物語は郷土の伝説として、比較的世に知られていたものであるが、現在は次第に風化して来ており、またいつ消滅するかも分からない。或いは物語の筋やイメージも変わっていくことも考えられる。このように完全な姿で原本が見付かったということは、誠に得難いことと言わねばならない。
 さてこれらの物語は、初めは肩の凝らない民話として読んでいったのであるが、次第になかなかに一筋縄では行かぬ、仏教説話であると思うようになった。各所に仏教の思想や用語が出てきて、これを正しく読みくだすことは、或いはそうたやすい事ではない、と思われてきた。
 そのような訳で、始めの考えと変わって、解説を書き語句の注解を付けることとなった。勿論これらの物語も、言葉に関係なく分かる所を面白おかしく読んで行けば、それはそれでいい訳であるが………。
 さて、ひるがえって考えてみるに、この冊子の作者(編者)は、仏教説話を書こうと思ってこの書を編したのではない、自身が僧であるゆえに、おのずと此のような形になつたのであろう。
 このようなことで、各物語の解説を書いていったが、最後の「道白和尚物語」だけは、数年前に書留めた小論をそのまま充てた。したがつてそれ独自の注や、参考文献がそのまま付いている。
 更に1つ、本文は文語体で旧仮名遣いをもって書かれているが、なるたけ読みやすいように、ふり仮名を多くふったつもりである。なお、この小冊は4・5年前に世に出る予定であったが、いろんな都合で遅れてしまった。それはそれで良かったと考えている。
 最後に、静岡、清水両市に跨がって、天に聳えて見える神体山、竜爪山に心を寄せ、親しみを感ずる人は多いと思う。この山に人々がさらに関心を持ち、いろんな面で、いろんな研究がなされることを期待して止まない。竜爪山の研究は今始まったばかりであり、竜爪山も私達にいろんな事を語ってくれるに相違ない。誠に素晴らしい山である。
参考文献
今川氏研究会編
駿河の今川氏 第二集・第六集  谷島屋書店
小和田哲男
柴辻俊六編
土橋治重
磯貝正義・服部治則校注
阿部正信
新訂寛政重修諸家譜
静岡市史

久留里城誌
駿河今川一族
武田氏の研究
甲州武田家臣団
改訂甲陽軍鑑
駿国雑誌
第二巻・第十四巻
原始・古代・中世
古代・中世史料
新人物往来社
吉川弘文館
新人物往来社
新人物往来社
吉見書店
新群書類従完成会
静岡市役所

久留里城再建協力会