第4節 薬師岳・文殊岳と龍爪山の名の由来は?
薬師岳と文殊岳は速玉十二所権現の名から
 龍爪山と熊野信仰との関連について説明が終わったので、薬師岳と文殊岳、それに龍爪山の名の由来に移る。もう一度、熊野三山に祀られている十二所権現の表(s)に戻る。
 速玉大社では速玉の神が主神であり、この本地は薬師如来とある。そして、次に眷族として五所王子と四所明神があるが、そのうちの十万宮の本地が文殊菩薩とある。
 薬師岳と文殊岳は、この速玉大社の主神である速玉の神の本地・薬師如来と、その速玉大神の従者である十万宮の本地・文殊菩薩にちなんで命名されたのである。二つの峰のうち、高いほうを主神と見なして速玉の神(薬師如来)とし、低いほうを従者として十万宮(文殊菩薩)と名づけたのだ。
 龍爪山の麓近くの荘園に住む人たちは、この二つの峰を速玉大社の神と仰ぎ、山そのものを熊野権現としてあがめていた。だから、建造物としての本殿は必要はなかったのである。
 ところで、記録では十万宮を文殊菩薩とした例もあれば、一万宮を文殊菩薩とした例もある。文殊と普賢が入れ替わるのだ。
 文珠と普賢とはよく似た菩薩である。仏や菩薩をあらわす梵字を種字というが、両者の種字はそれぞれ文珠が「外字」、普賢
アン
が「外字」で同じ梵字に一つの点が打たれているかいないかの違いだけなのである。発音も、「ア」と「アン」で、口の構えもよく似る。
 もともと、十万宮も一万宮も熊野の重疊たる山々(熊野三千六百峰と呼ばれる)に住むいろいろな神々すなわち草木や動物、
チミモウリョウ
山川の精のなどのいわゆる魑魅魍魎を包含した名称である。だから、それほど区別にこだわる必要もなかったのだろう。
 一万宮は「オワリカギリナキミヤ」、そして十万宮は「ハジメカギリナキミヤ」と読まれるという。
 熊野権現の信奉者や荘園の関係者は、薬師如来の救いの教えが「初めもなく」また「終わりもない」、永遠の過去から永遠の未来に伝わる尊い教えであることを確信しつつ、二つの峰に薬師岳と文殊岳の名を与えたのだろう。  それでは龍爪山の名称である。
 駿河・遠江両国には速玉大社と那智大社の荘園が多かった。何度も説明したように、この両大社の神は速玉神と結び神と呼ばれ、初めは新宮の神倉山のゴトビキ岩に降り立った二柱の神である。それゆえに本宮大社に対比するさいには、両神は一口に「結早(速)玉両所権現」と呼ばれていた。
 前に木曽御嶽山には山伏祭文が残ると書いたが、その一つは永禄5年(1562)に書写されたものである。これにも次のような文言がある。
「ユヤシヤウジヤウダイゴンゲン、ムスビハヤタマリヤウシヨゴンゲン」
 漢字にすれば「熊野証誠大権現、結早玉両所権現」となる。すなわち、これは本宮大社の証誠すなわち家津御子神の本地である阿弥陀如来と別に、那智大社の結び神および速玉大社の速玉の神を一つのグループとして表現している。
両 所
龍 爪
 この「リヤウシヨゴンゲン」の「リヤウシヨ」が「リョウソ」に変わり、さらに「リュウソウ」と変化したのだ。
 リヤウシヨ→リョウソ→リュウソウである。これが「両所山」の語源である。
 ∧龍爪権現がはじめて鎮座した神聖な場所∨
 奥の院の亀石
龍爪権現がはじめて鎮座した神聖な場所
 しかし、駿河と遠江から熊野三山の荘園が少しずつ消えてゆき、この山と熊野権現との結びつきが人々の記憶から薄らいでゆく中で、「両所」ではいかにも意味が曖昧なので、好字が与えられ「龍爪」となった。その「両所山」が「龍爪山」となったのである。
 ここで重要なことを指摘しておこう。穂積神社の境内の最奥(鳥居から約600メートル奥)の、木立に囲まれた少しばかりの平地に、崖に寄り添うようにして大きな岩がある。亀石と呼ばれている。間口一間、奥行三尺、高さ三尺ほどあろうか。そしてこの亀石のあるところを、人々は「奥の院」と呼ぶ。ここは現在でも穂積神社ではもっとも神聖な場所とされていて、権兵衛が初めて龍爪権現の社人となったとき、この亀石に龍爪権現を祀ったと信じられている。
 私はこの亀石は、熊野において両所権現の降り立ったゴトビキ岩になぞらえたものであると考える。
カメイシ
 亀石はゴトビキ岩であり、龍爪山の神倉山だったのだ。亀 石はもとも
カミイシ
とは「神 石」ではなかったかと思う。
 昔、龍爪山が熊野権現の聖地で両所山と呼ばれていたころ、人々はこの山に上り、奥の院ではるか紀州の両所権現に想いをはせつつ、神の石である亀石に祈ったことだろう。
 もう一つ、ゴトビキ岩についていうべきことがある。
 私は龍爪山の名の由来について「竜灯山」に若干の賛意を呈した。というのは、神倉山には火祭があるのだ。毎年2月6日の夜に行われる。かつては神倉修験の山伏が主催した祭で、今日でも山伏が祭事に加わっている。祭りでは上がり子と呼ばれる人々が、ゴトビキ岩の前で古来の作法によって起こした火で数百本という松明を燃やし、一斉に石段を駆け下る祭である。神倉山の斜面を松明の火が暗闇の中を怒涛のように流れ落ちる。だからこの火の激流を「山は火の滝、下り竜」という。
 もし、「竜灯山」が龍爪山の名称の起源になりうるとすれば、神倉山の「山は火の海、下り竜」はそれを強力に支持する材料になるだろう。